第1章
道の道とす可きは、常の道に非ず。名の名とす可きは、常の名に非ず。
名無きは天地の始め、名有るは万物の母。
故に、常に欲無くして以て其の妙を観、常に欲有りて以て其の徼を観る。
此の両者は同じきより出でて而も名を異にす。
同じきを之を玄と謂う。
玄の又た玄、衆妙の門。
『老子』蜂屋邦夫訳注,岩波文庫.
道とは神界のこと
宇宙より先にあった光の世界であり、この神界の中の低次の物質的な世界が宇宙となっています
高次である光の世界には言葉などなく、ゆえに天地という物質的な世界ができるときにはまだその名もなく、万物が現れて、言葉が生まれて名という概念ができましたが、目に見えない光の世界に名などつけようがありませんでした
それは見ようとして見える世界ではありません
感じようとして感じられる世界でもありません
そういったコントロールしようとする意思の届かない次元です
こちら側から意思を持って見たり、感じられる世界はこの宇宙という各々のエネルギーが具現化されている世界まで
宇宙以上の高次元の世界のものは、常にあちら側から与えられます
コントロールしようとする意思を全て手放し、全てを光に委ねたとき、光が与えられます
MYE